自分の好きな国を離れる時、それはさみしいものですよね?
私は語学を学ぶため、ロンドンとミラノで勉強をしました。
日常会話はそれなりにできます。
ただ専門的に何かを学ぶためには、もっと語学力は必要です。
そんな現実に気づいてしまった私でした。
夢を持って来た友人たちとの違いに、私は気づいてしまいます。
【オペラの勉強にきた友人】
私が1番仲が良かったのは、オペラの勉強できていたカナ。
カナは日本で音大で声楽を勉強しました。
そのときに、イタリア語を勉強しています。
イタリアに留学したい夢があり、日本のレストランバーで歌って、カナのファンを作っていました。
ミラノに住んでいる先生の元でオペラを習いたいと言ったら、援助してくれるスポンサーがいる。
夢のためにカナが大学時代で声楽を学び、自分のファンを作る努力をしていた結果。
カナはミラノでイタリア語の勉強、オペラのレッスンを両立。
余裕ができるようになると、私と同じように日本人観光客のアシスタントをしていました。
ミラノでの生活を楽しんでいます。
同じ学校だったアキラくんは、家庭が裕福。
日本の音大を出たあと、本場でオペラを勉強をするために、親からの援助で勉強していました。
アキラくんは、親からの仕送りがあるからアルバイトをしなくてよい。
オペラのレッスンを楽しんでいます。
【建築も学べるミラノ】
同居をしていたエミは、日本の大学で建築を学びます。
そこでヨーロッパの建築に興味を持ち、イタリアで勉強して、イタリアで働きたいという夢を持ちました。
両親の援助により、フィレンツェでイタリア語を学び、ミラノの建築学校に合格します。
フィレンツェで語学を学んで2年、さらに専門的に建築を学んで今2年目。
イタリア人と一緒に専門的なことを勉強するには、頑張らないと授業についていくことはできなく、毎日勉強。
アルバイトをする余裕はないから、親からの仕送りで生活しています。
ぜいたくな生活はせず、堅実な生活をしていました。
私はエミの努力を近くで見ていて、尊敬。
エミはミラノの建築学校を卒業した後、中部イタリアのレッジョエミリアという街の建築事務所に就職をしました。
【現実の海外で生活していく難しさ】
ただ、語学が学びたいと思うだけでミラノに来た私。
イタリア、ミラノ、ファッション。
そんな言葉に惹かれてミラノに勉強に来ました。
お金もなく来ると、やはり生活はそんなに簡単なことではありません。
日本のようには簡単にアルバイトはできない。
仕事をできるようなイタリア語を話すには、後何年かかるかわからない。
家族もいない、友人は少ない、そんなミラノで、ショックな出来事があると精神的にも辛い。
その話についてはこちらを読んでください。
頼る人が少ないのは、やはり生きていく上で難しいと感じました。
家族のありがたさを海外にいると、よくわかります。
私が、住むべき場所は日本だと思うようになりました。
【私の決心】
日本で就職!そう決めたら何をする?
ミラノで、傷ついたこともありましたが、楽しかったこともたくさんありました。
それは、イタリア料理を楽しめたこと。
旅行を楽しめたこと。
ミラノの街散策を楽しめたこと。
オペラや、建築、芸術に興味を覚え、知識を得たこと。
それは、友人や私に関わってくれた人たちとの出会いのおかげです。
これをたくさんの人々にも伝えたいなぁと思いました。
そうだ、旅を仕事にしよう!
そう考えるようになりました。
日本に帰国して、イタリアを案内しよう。
” 添乗員” !それが私の天職!そう感じました。
ミラノを離れるまで、日本人観光客のアシスタントのアルバイトをさせていただいた私。
イタリアに来た添乗員さんに、仕事内容のお話を聞いて、情報収集を始めました。
ミラノでの生活は、私を正しい道へと導いてくれたよう。
今、私は日本で楽しく自分のしたい仕事をしている。
これはイギリス、ミラノと留学して、海外で住む厳しさも知ったから。
私の選択は間違ってなかったと今、感じることができるのは幸せ。
この先は、私がツアーに行き知った海外のお話をアップしていけたらと思っています。
たくさんの経験は人間を成長させてくれる。
私に関わってくれた方々に感謝!
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