「ロンドンの語学学校に行っていたんだったら、ドイツがスイス、北欧の男子の言っ人がいるでしょう?
私に、誰か紹介して!」
日本食レストランに来ていたある日本人女性ヤヨイさんから、お願いされます。
私はロンドンでの留学を終えて、次にミラノに来ました!
ヤヨイさんはミラノで友人が少なかった私に仲良くしてくれた人です。
【ヘクトーをミラノに招待をする計画】
ヤヨイさんはミラノに来て間もない私には友人も少なく、「仲良くしましょう!」と、話しかけてくれます。
ヤヨイさんの言葉はとても嬉しくって、イタリア語もまだ話せなく、不安だった私には嬉しくって仲良くしていただいていました。
そんなヤヨイさんからお願いされたら、誰か探してみなければと思ってしまいます。
ヤヨイさんは彼氏と別れたばかりで、彼と一緒に住んでいたので家は1LDK!
広いリビングに大きなソファーベッドがあり、寝室もダブルベッドだから、1泊ならそのリビングに泊まれば良いと言うことになりました。
ヘクトーは彼女がいるから、ヘクトーに彼女がいない友人を連れてきてもらおうと、私は連絡をとります。
ヘクトーもミラノには来たかったようで、喜んでお願いを聞いてくれました。
「なぜドイツ、スイス、北欧の男子なのですか?」と、聞いてみます。
ヤヨイさんの答えは、「彼氏と別れて婚活中。それらの国はイタリアと違い年収が多い、結婚してお金の苦労がないから。」
あまりに私とは考え方が違う言葉だったので、びっくりしてショックを受けました。
でも、私は仲良くしてくれた方の幸せの為に役にたてるなら!
私はうれしい!
【ヘクトーと友人アルドとのミラノ観光】
ロンドン留学も車で行ったヘクトーは、当然ミラノも車できました。
スイスとミラノの国境は峠が多いのですが、今はトンネルができているので大変ではなく、スイス人は雪道を走るのもなれています。
12月に入ったばかりの、クリスマスプレゼントを買う人で町もにぎわう時期でした。
ヘクトーもアルドもミラノには、来たことがあるのでよく街は知っています。
特に絶対行きたいところがあるわけではないので、時々、ガイドさんもしているヤヨイさんの案内でミラノの街をまわりました。
ここでミラノの街を簡単に歩きましょう!
スカラ座(Teatro alla Scala)からスタート。
スカラ座は18世紀ミラノがオーストリアの支配だった時代(マリアテレジアの時代)に建てられます。
サンタ・マリア・アラ・スカラ教会の跡地にたてられたのでスカラ座という名前がつけられました。
イタリア3代劇場の1つ❗️
そのあとは、ヴィットリオ エマヌエル2世のガレリア(Galleria Vittorio Emanuele Ⅱ、名前が長いので略してガレリア)
ガレリアは19世紀のガラスと鉄で作られたアーケード街、イタリア王国最初の王様の名前がついています。
床や天井のモザイクがキレイ。
特にトリノのシンボルの雄牛は願いごとが叶うといわれるスポットとしても知られています!
ドゥオモ内に入ったり、せっかくミラノに来たから、ヘクトーたちは買物をしたりと楽しんでいました。
車もあるし、夕食はやはり美味しいレストランが並ぶナビリオ地区へと向かいます。
私にとっては初めてのナビリオ地区でのディナー、前菜、パスタからメインと久しぶりにゆっくりワインを飲んで楽しみました。
ミラノ名物というとミラノ風カツレツです!
日本とは違い、仔牛の肉をうすくたたいて揚げたもの。
揚げ加減も重要、カラッと揚ってないと美味しくないのです。
日本とはちがいとんかつソースはないので、レモンをたっぷりしぼって塩で食べます。
ヘクトーは、ロンドンでもビール飲んでも車で来て帰っていて、お酒には強い。
当時は、飲酒運転は厳しくなく少量のワインは飲んでも大丈夫でした。
ヘクトーは1度ロンドンで警察に止められましたが、アルコール反応はでない、出さない方法を知っているのです。
4人で学生のように、楽しんだ日❗️
結局、ヤヨイさんはアルドと結婚してジュネーブに住んでいるようです。
私とヘクトーは2人のキューピット役になりました。
私もきっと幸せになれるだろうなぁ。
その後はある出来事により、ヤヨイさんには会っていません。
ただ人の出会いは不思議です。
決して無駄な経験はないから、感謝して大切に生きなければと思いました❣️
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